●寄り添いサポート
和田 晃/1940年生まれ/神奈川県出身/印刷関連業界勤務を経て、デザイン会社創業/プリプレス会社創業/県ウォーキング協会指導者/健康管理士一般指導員/経営者・個人事業主寄り添いサポート/趣味:ランニング・料理 ・ 温泉
はじめまして。
寄り添いサポートの わだ あきら です。
神奈川県出身、1940年生れです。
年齢84歳ですが、60歳代に若く見られます(笑)
高卒後、印刷関連業界勤務を経て、30歳でデザイン会社創業、40歳でプリプレス会社創業。
現在は経営者・個人事業主向け寄り添いサポートをしています。
わたしの母は、父親亡き後、幼い6人の子供を育てた肝っ玉母さんです。 母子家庭なので、私たち兄弟が新聞配達、牛乳配達をして、家計を助けてきました。
低学年のころ、姉のお古を着せられたり、中学の修学旅行にも行けず、悔しい思いが “こん畜生精神” として、今でも心の奥深くに残っています。
大人になったら会社の社長になって、金持ちになってやると、常に自分に言い聞かせてきました。
1956年、日本が敗戦後、復興の最中に中学を卒業、定時制の工業高校へ通いながら、小規模の印刷会社に勤めました。
その後、印刷業界も近代化(デジタル化)が進み、活字に代わり写真植字のオペレータになり、25歳で結婚7,000/月のアパートに住みました。
この頃から “こん畜生精神” を意識するようになり、着々と30歳で独立する計画を立てていました。
写真植字の技術も得意先から高い評価をいただき、30歳の誕生日を機に兄弟、得意先の支援があり起業することができました。
小資本なので最低限の事務所を探し、一人三役(営業・事務・仕事)をこなし、日夜、休日も休みなく働き、どうやら事業も軌道に乗せることができました。
その間、事務所の拡充、社員の増員、営業部の強化等無我夢中で突っ走ってきました。
1986年~1991年かけて日本経済のバブル時期がありました。
不動産や株式市場の価格が大幅に高騰し、1989年12月には、日経平均株価は、3万8957円の最高高値が付きました。
わたしの会社もこの時ばかりは忙しく、仕事の依頼が多く断るのが大変でした。
そこで更に会社の規模を拡大し、一気に好景気になり売り上げもピークに達しました。
やがて好景気もつかの間、日本銀行が金融引き締め政策を実施し、1992年には、“泡” が弾けてバブル経済は崩壊しました。
その後、私の会社もそのあおりで、長引く景気低迷の影響で、仕事量の減少により、価格競争の渦に巻き込まれ、売り上げ低迷で窮地に立たされました。
売り上げ減により金融機関に借入を申し込んだり、税金滞納、給与の遅配と最悪の状態に陥りました。
以前より会社の危機を想定して、役員会を頻繁に行ってきましたが、結果的には会社再建の方向性が決まりました。
事業所を半分に縮小し、100人の社員を3分の1に縮小することにしました。
わたしとしては、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、社員全員を招集し、会社の現状を説明しました。
一番心苦しいことが会社のために一生懸命働いてくれた社員を整理することでした。
何日かに分けて、辞めてもらう社員を一人ずつ面談しましたが、大半の社員に泣かれたり、逆に励まされたりしました。
その時に、会社経営とは、山あり谷ありの連続だなということを痛切に感じました。
2006年9月、弁護士に依頼し、債権者会議を開催し、出席者の同意を得て一つの会社を整理し、その一部を残りの会社に統合することになりました。
2020年3月、私も80歳という一つの人生の区切りとして、長く会社に貢献してくれた社員に会社を譲渡しました。
その後、36年間会社経営を経験してきた実績を踏まえ、悩み多い経営者の方と一緒にあゆみ、気持ちに寄り添ってお力になりたいと、サポートの道を選びました。